遺跡

わが社の施工地域のなかでも府中市には遺跡群が多く、新築工事の際は市役所に
届け出て、事前調査をしてもらい遺跡があるかどうかの確認が必要になってくる。
あったとしても基礎深さによって遺跡に影響がない場合はそのまま施工できるこ
ともある。
しかし。
杭工事が発生したことにより本調査を行わねばならなくなった。
うーん。
一日でも早く新居での暮らしを始めたいという施主の気持ちを思うとつらい
ところでもあるが、施工時の努力でなんとか追いつこうと考えている。
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市役所予備調査の跡
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隣地の工事は着々と進んでいる模様
窓の位置もかち合わないことが確認できてほっと一安心
屋根の流れ方向が逆だったことは残念・・・同じ方向だときれいだったのにな
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春を思わせるあたたかい大寒


府中市役所のHPより
府中の地名は「国府の中」に由来します。
国府とは、古代(今から1,200年から900年前)の各国ごとに設置されていた役所のことで、府中市には武蔵国
(むさしのくに)を治めていた役所が置かれていたわけです。古代の武蔵国(むさしのくに)は、現在の東京都
と埼玉県と神奈川県の一部を含む規模であり、それを治める古代の都庁ともいえる役所がこの府中市にあっ
たわけです。
その厳密な中心は、現在まだ明らかになっていませんが、大国魂神社東側の京所と呼ばれる一帯にあること
は、まず間違いなさそうです。
武蔵国府関連遺跡の中からは、この役所のほかに、国府に勤める役人たちの館跡、また国府に関わって集
まった人々の住居跡や工房跡・墓などがみつかっており、現在見つかっている住居跡の数から復元すると、
京王線府中駅を中心とした美好町以東・東府中駅以西の地域は、古代における武蔵国内で最も人口が集中
していた地域であったものと想像されます。
他に、武蔵国府関連遺跡の中には、
白糸台周辺に古墳時代後期(今から1,400年ぐらい前)の白糸台古墳群
東府中駅東側には縄文時代中期(今から5,000年ぐらい前)を中心とする集落跡
東府中駅南側には古墳時代前期(今から1,600年ぐらい前)を中心とする集落跡
大国魂神社周辺の旧甲州街道沿いには江戸時代(今から300年から100年前)の宿場跡
大国魂神社南側には縄文時代中期を中心とした集落跡
東京競馬場内には縄文時代の集落跡、
分倍河原駅西側には古墳時代後期の高倉古墳群
本宿町の第五小学校周辺には縄文時代中期を中心とした集落跡
が、古代の遺跡と重複して存在しています。

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